お寺の紹介

 平成17年、先代のあとを受け継ぎ、慶蔵院第25世住職としての歩みは5年目に入りました。この度、たくさんの方々のご尽力を得て、慶蔵院の日々の活動を紹介するホームページを開設させていただくことになりました。
 活動の分野は「子供会」や「外国人児童・生徒への日本語支援『てらこや塾』」も含めて多岐にわたりますが、どうぞご覧いただければありがたく存じます。

合掌   住職 前島 格也

慶蔵院の紹介
山号を神宝山といいます。浄土宗鎮西派。総本山知恩院の末寺。創立開山は不詳。

・文禄3年(1594)以前に慶蔵庵として存在していたこが、古地図に現れています。現在、宮川が流れている場所のため、洪水にて流失したと考えられます。
・貞享2年(1685)鈴鹿悟心寺弟子、寂誉和尚により再建されました。
・寛保元年(1741)宮川大洪水により、本堂流失。
・寛政7年(1795)本堂棟札により再建が始まったことがわかる。
・天保2年(1831)本堂建立
・昭和62年(1987)現在の本堂に修復

御本尊 阿弥陀如来立像
 室町時代作(73cm)説法印を結び、お顔を少し左に振っており、見返りの阿弥陀仏と考えられます。

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慶蔵院「涅槃図」
慶蔵院「涅槃図」は、文政9年(1826)、第17世性誉順圓和尚の代に完成しました。慶蔵院の檀家であった新出の画工、「森 安五郎」さんが模写をし、田丸の大仏師、菊之進さんが表具を行ったということです。為書きには、「怨敵平等利益」仰願「必得往生」とあり、当時の人々が、すべての人々がともに平等に救われていく道を求めていたことがわかります。

鐘楼
 平成16年3月6日落慶式。小俣町内に七十有余年の歴史をもつ、宮川モスリン工場(ユニチカ)の解体・整理にともない、慶蔵院寺世話人をはじめ檀信徒各位の篤志により、移築・再建・保存されたものです。

慶蔵院の釣鐘
 慶蔵院の釣鐘は、だれがいつ来て、いつ撞いてもよい・・・と皆さんに話しています。これは、多くの人々の思いや願いのこもった、戦前からの宮川モスリン工場の釣鐘を移築・再建したものだからです。子ども会に参加した子どもたちは、休憩時間に交替で撞きます。毎月25日には、戦没者慰霊のあと、平和を念じて撞かれます。願い事のある人、当病平癒を求める人、心を鎮めたい人がそっと来て撞いていく鐘でもあるのです。
 どうぞ撞きたいときに、心をこめてお撞き下さい。

 病む人のつく鐘の音啄木忌 格也