2009.06
2009.6.27
ネジバナ
この花を一番最初に見つけたのは、ガレージの屋根に登った時でした。
屋根にたまった腐葉土の中から、一本太く伸びて咲いていました。そのまま境内に地植えしたことは覚えていますが、場所がどこであったかは、昔のこと、忘れてしまいました。
その後、境内のあちらこちらに一本、二本と咲いているのを見かけたこともあります。今年は、この場所に一本だけ咲いていました。石の階段の隙間からです。
別名、文字摺草。「もじずりそう」と読みます。思い出すのは、鳥羽高校の中庭。芝生の中に、この花が群れ咲いていました。卒業生の寄贈していってくれた白いベンチとマッチしていました。
鳥羽湾を出て行く汽笛文字摺草 格也
2009.6.20
公孫樹の実ギンナン
銀杏がこんなに大きくなっています。完熟の大きさの七割ほどまでに成長してきています。あと二か月ほどすると色が変わりはじめますが、それまでの銀杏にもいろいろな歩みがあります。
一つは、受精。花粉が精子に変わるのだそうです。なんという神秘。公孫樹の木は、植物なのに植物でないかのように見えてきます。風に揺らぐ公孫樹は、動きそのものが命です。
そして自ら、間引きをするかのように、まだ青い銀杏を振り落とすのです。ライオンは自分の子を崖から突き落とし、這い上がってきた子だけをそだてるといわれるように、より強い子孫を残すために八月末まで、公孫樹の生き残るための命の選別はつづけられます。落とされた銀杏は肥やしとなるだけの命です。
命絶ち命をつなぐ炎天下 格也
2009.6.16
ササユリ
四年前に退職した高校の裏山には、ササユリがたくさん咲きました。二階の図書館から窓をあけ放ち、楽しむことができました。
16年前、初めて見た時は山の中腹に咲いていたはずのササユリ。10年ほどの間に手の届くほどのところにまで広がってきました。おそらく伸び放題になってきた山裾の低木を、校務員さんが刈り取ってくれたからだと思います。
大雨の降った翌日、裏山の周りを歩いていて、岩肌の崖と崖の間にへばりつくように、小さな球根を見え隠れさせ、高さ10㎝にもみたないユリの葉らしき葉をつけた植物をみつけました。指で触るとポロリと落ちました。ササユリかも知れない…。
そっと持ち帰り、裏庭の斜面に、水はけを良くするために60㎝ほどの穴を掘り、小石を下に入れ、山砂を中心にして地植えをしておいたのです。見事に咲いてくれました。当時、図書館の窓から裏山を見て作った句を一句。
梅雨激し山の向こふに山がある 格也
2009.6.5
黄金樹の花
この樹の名前は正確には分かりません。先々代の住職、祖父からそのように教えられた樹です。葉が大きく、トランプのスペードのような形をしているのが、いかにも黄金という感じです。
公孫樹の木の隣に、同じほどの太さと高さでそびえていたのですが、伊勢湾台風の時、公孫樹に倒れかかりました。今では幹が公孫樹に融合してしまっています。ところが公孫樹の勢いに押されてかだんだんと力を弱め、現在は枝を二本残して、大部分が枯れてきています。
なんとか一年でも長生きさせたいものだと、昨年、黄金樹を覆っていた公孫樹の枝を切りました。
今年も芽を出してくれたので喜んでいたのですが、今日、見事な花を咲かせているのに気がつきました。これまで一輪、一輪程の花を見たことはありますが、これほどにかたまって咲いた姿を見たのは初めてす。いつまでも元気にと願わずにおれません。
2009.6.4
ユリ
6月に入って百合が咲きだしました。この百合、磯部町の方にあった百合で、二年ほど前に母親が求めてきたものです。「寺に合わない…」などと、ぶつぶつ言いながら私が地植えをしました。この百合園、山の斜面に何千本もの世界各地から集めた百合を植え、それはそれはみごとなものであったようです。
ところが昨年、再び、母親が訪れると閉園となっていたというのです。元気に百合園の夢を語ってくれた社長はどうしたのでしょう…。商売は難しい…。
それでも百合は大きく育って、立派な花をつけてくれました。これからは境内の花として毎年、立派な花を咲かせて欲しいと思います。社長の夢ものせて…。
百合咲かす夢破れても百合咲けり 格也