2009.08
2009.8.30
クラマゴケ
美しい何とも言えない色をしています。クラマゴケと名がついていますが、イワヒバ科の常緑性シダ。半日陰でよく育ち、境内の裏庭に、昔から生えていました。ただ、雑草とともに抜きすぎてしまうと、すぐに絶えかけてしまいます。あわてて植え直し、しばらくそっとしておく…。その繰り返しであったように思います。
祖母の弟で、地元の大学で国文学を教えてみえたK先生、方言の研究家で、とてもユニークな先生でした。ある日、裏庭の草引きを手伝いに来てくれました。ところが先生、クラマゴケを全部抜いてしまったのです。
祖母の大目玉をうけるはめになってしまいました。祖母も容赦していません。私が幼稚園の頃のことです。祖母に叱られ、ふだんとても面白いK先生の「いゃー、まいった、まいった…。手伝いに来て怒られるとは、寺というところは、やっかいなところやなぁー」という顔、思い出します。楽しい、クラマゴケの思い出です。
叱られし思いで楽し苔の花 格也
2009.8.30
キンカン
裏庭にある、てっぺんまで手が届かなくなったほどの高さの金柑の木に、大きさ2~3㎝に育った実がついています。
祖父がよく、わらべ唄ふうに節をつけて語ってくれました。「みかんコォータラ(買ったら)皮やるぞ、キンカン、モロタラ(貰ったら)ミー(実)やるぞ」と。このなんとも言えない節回しをお伝えできないのは残念です。
このブログ、音も出せるように、できないものか…。
ミカンは実を食べ、キンカンは皮を食べるから、おいしい所は自分で食べて、いらないところを人にやるという、子ども時代の遊びの中からうまれてきた歌…、語り継いでいかなければ、消えてしまいます。
ところが、キンカン、皮ばかりか、実もおいしいです。毎日、5つ6つをかじっていれば、新たな元気をいただけます。
金柑や耳にのこりしわらべ唄 格也
2009.8.29
マンリョウ2
万両に実がついています。赤く色づくまでにはまだ、まだ時間がかかります。
ヤブコウジ科に属し、他にも十両、百両、千両などの名前を聞きますが、なぜ、この低木が万両で、頭の上に実がつくのが千両というのか、名前のつけ方は本当に不思議です。
勝手な想像をしてみました。万両は千両より、たくさんで重いので下にぶら下がる…というのではどうでしょうか。
玉城町にあるお寺で、これが百両と教えてもらったことがあります。やはり実は上についていたと思います。千両の実よりも一粒が大きかったような…。しかし、あまりにも葉が大きくて、私の抱いていた百両のイメージとはずれていて、これも植えようという気持ちにはなりませんでした。今日、この文章を書き出して、もう一度ちゃんと見直してみようと思います。
竹田忌ものみな名前もつ不思議 格也
2009.8.28
ユズ
まだ青いユズの実です。この実が黄色くなれば秋です。5年前、教師を辞めることを決意した私は、これからは、いろいろな料理に取り組もうと思い立ちました。定時制の二年間で、「手打ちうどん」「ぺぺロンチーノ」は、得意料理になっていました。このレパートリーを増やそうと思ったのです。
そして、取り組んだのが、ユズゼリー。ちょうど帰ってきていた息子と一緒に苦労してユズをしぼり、ユズの実を半分に割った皮の部分にゼリーを入れて冷やして完成。
この出来ばえを絶賛してくれたのは母親。今でもあれは本気で言ってくれたんだと思いますが、「こんなに濃厚で、おいしいものは食べたことがない」と喜んでくれました。どういうわけか、その後につくったもので、このときの味を越えたと思えないのはどうしてなのでしょうか…。いろいろな仕事が増えて、余裕をなくしているからかもしれません。
青い空海まで続く柚子は黄に 格也
2009.8.23
ヘメロカリス
別名を、ディ・リリィーというのだそうです。最近、人気が高まってきている花のようで、名前で検索するといろいろな情報が得れます。ユリ科キスゲ属の植物です。そういえば、ニッコウキスゲに似ているでしょう。甘味があり、ハーブとしても人気があるようです。どうぞ、写真をクリックして拡大したうえでご覧ください。
これも、昔に母親が植えたもの。夏の慶蔵院の玄関先の花として定着しています。一日花で、夜にはしぼんでしまうのですが、どんどん花を咲かせます。
すぐ名前を忘れてしまう私たちは、「なんという名前だった」と母に尋ね「何でも聞いてえな…」と、笑われました。
あまりにも増えすぎて、二年前に桂の木の周りに移植しました。半日陰ですが、そこでもよく育っています。花はまだです。こちらも、また紹介します。
よく名前忘るる花や遊行忌 格也
2009.8.22
ヤブラン
8月22日
境内の奥、藪の中に、いくつか、このようなヤブランの株があります。大きなものは、それはそれはみごとなものです。もっと増やしていきたいと思います。
日当たりは、それほど必要無く、半日陰で、十分に、見事な深緑色の葉を繁らせ、花をさかせるのですが、土は選ぶのかもしれません。地蔵さんの前に植えてみたものは、三年ほどたってきましたが、まだまだ株が大きくなってきません。葉の茂り具合も、いまいちです。
実が紫黒色に熟すと、またまた見事です。その頃にも紹介したいと思います。旧伊勢市側の宮川の川沿いを電車の鉄橋をくぐり越えて、10メートルほど、ヤプランの群生がみられます。散歩道としてお薦めです。
鳴き声の絶えて残りし蝉の穴 格也
2009.8.21
カニ
トノサマガエルのやってくる玄関脇の蹲いには、カニもやってきます。今日も三匹が水に入ったり、出たりと、周りを歩き回ります。このカニの正式の名前は知りません。しかし、前を流れる宮川の岸辺で見かけるカニと同じものです。
梅雨のころには、2~3センチに満たないような子カニが玄関から中に入ってきます。穴を探してやってくるかのように、草履や下駄の下に隠れます。
また、このカニと、爪が真赤なアカテガ二とが同種類のものかどうか、私には、わかりません。今年はまだ見かけていませんが、本堂の周り、裏庭を住処に、アカテガ二も住んでいるのです。
アカテガ二は、石垣に住み、木にも上り、大潮の日に道を越えて、最寄りの河まで卵を産みに下りていく…と、今朝のテレビが報じていました。
蹲いの水が貰ひし蟹の爪 格也
2009.8.17
トノサマガエル
毎年やってくるトノサマガエル。暑い日には、落とし水に頭を打たせてじっとしています。水浴びにやってくるのです。ジャンプして飛び込んだり、水から上がっては、また飛び込んだりと。
最初に、その姿を見つけたのは娘です。今年も、お盆で帰省していた娘が見つけ、写真も娘が撮りました。
今、中国に帰っている、慶蔵院で日本語を勉強している小学校五年生のkちゃん。蛙が大好き。寺世話人のHさんが、川で捕ってきてくれたオタマジャクシを飼育していましたが、すべてトノサマガエルになって出ていきました。
どこかで、慶蔵院に住みついている蛙とKちゃんの蛙が出会っているかもしれません。
横向いてこちら見ている蛙かな 格也
2009.8.16
タラノキとコガネムシ 2
タラノキをのっぺらぼうにしたのは、やはりコガネムシでした。
蔦から一晩でタラノキに移り、ひと枝を食べつくしました。このとき、朝方、数匹のコガネムシを見かけた妻は、犯人はコガネムシと断定していました。
はたして、やっぱりコガネムシでした。数日後のことです。タラノキの枝という枝に鈴なりのコガネムシ。朝が明けても、まだ食べ続けています。
コガネムシにも、「ここに餌がある」との連絡機能があるかのようです。どこからともなく現れた大群。蔦の時と同じです。これを書くために、今日、もう一度見に行きました。完全に葉という葉は全部食べられ、枯れ木同然となっていました。その、トゲトゲの幹に、雌のクマゼミがとまり、私たちが近づいても、全く逃げる気配すら見せませんでした。
蝉一匹飛ぶ気配なし目の高さ 格也
2009.8.6
タラノキとコガネムシ
今朝、写真を撮りに行った妻が戻るなり、「タラノキがコガネムシにやられたみたい…」といいます。既に、コガネムシは2~3匹しか残っていなかったようですが、食べているところを見たといいます。
一昨日の夕方、私が見たときには、花にも勢いがありました。葉に虫が付いている様子も、全く見当たりませんでした。
山門の周りの蔦の葉は、全滅です。そこには、もはやコガネムシはいません。どうやらコガネムシは、蔦にあきて、タラノキに移動し、一晩のうちに葉を食べつくしたものと考えられます。それにしてもみごとなものです。
毎日のように境内に掃除に来てくれるHさんが、声をかけてくれました。
「おっさん、山門の虫に食われて軸だけになった蔦、刈りましょうか」と。
とっさに応えました。「いや、おいといてんか。そのままでええわ。」と。
「そういうかと思って、かってに刈らずに声をかけたんです」とHさん。
境内の蔦、食べる虫があることも、食べられた蔦やタラノキがあることもそのままでいいのではないか…。そうだ、パセリも植えよう。チョウチョの餌になるように。
2009.7.31
ツタとコガネムシ
境内の高塀を覆っている蔦。昔から、この寺にあったもので、母親が塀に沿って移植したことから徐々に増えだし、今では山門に向かって右側の高塀、すべて蔦が覆うまでに繁茂しています。
蔦の種類は、三種類。それに、この欄で紹介したノウゼンカズラものっかかってきています。
この蔦のうち、山門の枡形の瓦塀に広がる、大きな葉の種類の蔦が、見事に、一気に、丸坊主となりました。今朝、門を開けに行って気がつきました。
近づいてみると、コガネムシです。どんどん葉を食いつくしています。「成虫は夏に出現。成虫・幼虫ともに植物を食害する。…日本に約300種を産する」と日本語大辞典にありました。それにしても見事な食べっぷりです。
蔦食べてつながる命黄金虫 格也
2009.7.30
ジュズダマ
正式の名前もジュズダマです。和順幼稚園の副園長の母親は、毎年、作品展でこのジュズダマを使った様々な作品を、子どもたちと一緒につくりあげてきました。
その陰の応援者、ここ10年来、ジュズダマ集めてくれたのが、母親の同級生のMさん。自転車で伊勢市中を走り回って、ジュズダマを探し回ってくれます。
溝などの改修が進み、めっきり数が少なくなってきているようです。昨年、成育していた場所に行ってみると、コンクリートで固められ、なくなってしまっているということが多々あるのだそうです。
本来水辺を好み、湿地帯に生えるジュズダマですが、境内でも二ヶ所に育っています。写真の場所は、どちらかと言えば乾燥する場所です。しかし、毎年こうやって芽を出し、花を咲かせ、実をならせてくれるのです。和順幼稚園の園児の家の庭先にも、ジュズダマがそだっているのが見れると思います。それほど子どもたちはジュズダマが大好きなのです。
2009.7.23
タラノキ
7月9日に紹介したタラノキの花が満開になりました。見比べてみてください。2週間の変化は見事なものです。トゲがあることで嫌われるタラノキ。
中野善英上人がこんな言葉を残して見えます。
「トゲのあることを苦にせなくてもいい、美しい花を咲かせやいいのだ」
同じく、中野上人、アザミの花の絵を描いて、こう語ります。
「アザミとは、花はキレイだがトゲがあると言わずに、トゲはあっても花は美 しいとほめてやって下さい」
私の心に突き刺さったトゲのような言葉も、何年か経てば、私をそだててくれる肥やしになると受け止めて、ひとすじの道を進んでいきたいものだと思います。鈴木しげる氏が、こんな俳句を残して見えます。
「雪解かす日射しのやうな言葉かな しげる」
2009.7.22
今年竹
境内の西側には、孟宗竹が伸びています。絶えてしまわないように、毎年、何本かは新しい竹を残しています。写真は今年のタケノコが大きくなったものです。根がどんどん張り出していくため、ご近所のお家には迷惑をかけています。
境内の中でも、根は南に向かって伸びてきていることがわかります。「一会館」の裏の方にも何本かが生えるようになってきました。
一定の場所を確保して、最大限ご迷惑をかけないようにして、その美しさを楽しめるように、整備することを課題にしたいと思います。
水上勉氏の「一滴文庫」を訪れた際、大切にされている孟宗竹が、建物に溶け込んでいました。まっすぐに伸びる、整備された竹林の美は、日本の美であると思います。竹を嫌われものにしてしまうのは、「私の至らなさである」としっかりと自覚して、やるべきことに取り組みたいと思います。
2009.7.20
オニユリ
このオニユリ、20年以上前に妻が植えたものです。植えたといっても、根の部分だけを埋めておいただけなのです。鎌倉に住む従兄のK子さんが、「ユリ根を食べたあとの、切り取った部分を埋めておけば花が咲くよ」と教えてくれ、半信半疑で埋めておいたら、こうして毎年、花を咲かせてくれるのです。
それにしても、「ユリ根の卵とじ」は、本当においしいですね。家族中、みんなが好きです。ある日、大学生の息子が久しぶりに電話をしてきました。何の用事かと思いきや、「お母さん、ユリ根の卵とじ、どうやって作るんやった…」。
卵が固くならないうちに、熱々のまま、半熟状態で食べるユリ根、なんともいえません。
さぞ、大きなユリ根になっているだろう…という見方はしないで、この花は花として残し、これからも楽しんでいくことにしましょう。
2009.7.17
センリョウ
境内の裏庭、祖父は「つぼのうち」と呼んでいました。私の小さい頃は、古木のサツキがいっぱいで、毎年、この時期になると、ゲートルを巻いた国民服のような長袖の、変色した緑色の服を着た祖父が、朝早くから剪定をする音で目を醒ましたものでした。
そのサツキも、祖父の世話が遠退き、楠やタブの木が生い茂って来ると、次々に枯れはじめ、今では花の咲かなくなった古木がひと株、残るだけとなってしまいました。
このサツキに入れ替わって勢力を伸ばしてきたのがセンリョウです。半日陰が適していたのだと思います。あまりにも多すぎて、花の時期の紹介を失念してしまいました。すでに実がついています。写真で黒くなっているのは花の残りです。秋から冬へ季節が移り、ぐっと冷え込んだ夜、センリョウは真赤に変わるのです。その日こそ、忘れずに記録します。
2009.7.5
モクレン
時ならぬ木蓮の花、実際に今咲き出したのです。整備中の無縁墓地の横。住職活動日記、7月4日の写真の右隣りになります。写真を撮影していた妻が見つけました。すぐに私を呼びに来てくれました。
不思議です。夏に咲く木蓮もあるのでしょうか。
この木蓮、四年前、私が教員をやめて、境内のあちらこちらの掃除を、気の向くままに進めていたころのことです。檀家のTさんが、よく寺に来てくれて、いろいろと指図してくれました。
「裏をあのままにしておいてはいけない。家にある実生の槇を、全部あげるか
ら植えなさい。」
「この木蓮、もっていきなさい。どこでもいいから植えておいて…」
「油粕を購入したから、半分持って行って、槇の周りに敷きこむように…」
こうして、私が一輪車に載せて運んできて、ここに植えたのがこの木蓮です。無縁墓地の完成を喜んでくれているかのように、この木蓮が、この時期に花を咲かせてくれたように思います。Tさんは、その後、私の二度目の嫁入りだといって、グループホームに入所されました。このことを聞いたら、さぞ喜んでくれることでしょう。
2009.7.5
アオノクマタケラン
数年前、裏庭の掃除をしていてイマメの木の下に芽を出しているハランのような葉を見つけました。ひとり生えです。雑草と一緒に削り取らずに残してきました。毎年、毎年と大きく成長し、今年みごとな花を咲かせました。ところが何の花かわかりません。そのため、写真は少し盛りを過ぎてからのものとなりました。
母親が解明してくれました。ミョウガではないかと目をつけ、辞典で調べ、最初,ハナミョウガと判定しました。しかし、花が違います。葉のつき方も違います。さらに調べていくと、アオノクマタケランに行きつきました。
以下、辞典から。「ショウガ科ハナミョウガ属。湿った林下に生える常緑の多年草。分布、本州の伊豆半島、紀伊半島・四国・九州・沖縄」となっています。実を鳥が運んできたものと思われます。
2009.7.3
ヤブカンゾウ
この花の名前を教えてもらったのは、1973年に尾鷲工業高校の社会科教員として、赴任をした年のことでした。当時は、用務員さんと呼ぶのが習わしになっていましたが、用務員さんだったkさん。俳句歴の長い方で、何時もノートと鉛筆を持って見えました。この方に、あの花はなんというのですかと尋ねて、教えてもらったのがヤブカンゾウです。学校の敷地の南側に連なる山裾に咲いていました。
私が俳句を始めることになるのは、それから10年もたってからのことですが、この時も、一つ二つの句をkさんに見せたように記憶しています。
母が、植えておいてといって、私が植えたヤブカンゾウが、今年も境内の裏庭に花をつけてくれました。