2009.09
2009.9・27
ハナミズキ
ハナミズキの紅葉も始まりました。この木、別名アメリカヤマボウシといいます。庭を作った母親がハナミズキの木を注文したところ、白い花が咲いて、これは、ハナミズキではない…と、調べてもらったところヤマボウシとわかりました。届けた植木屋さんも、ハナミズキと思い込んでいたのです。それほど似ています。
このことを聞いて、現在、茨城に引っ越してしまわれたMさん、大事にしていた庭のハナミズキをくれました。20年ほど前のことです。移植後、最初に花が咲いた日、Mさんは、五合瓶のお酒を持って見に来てくれました。「お寺で元気に大きくなれ」と根元にお酒を捲いてみえたことを妻が覚えています。
Mさんのハナミズキは、ヤマボウシの隣に植えられています。現在、両方の木とも、同じくらいの高さにのび、育っています。
山積みに積まれたる土山法師 格也
2009.9・25
ニシキギ
玄関先にあるニシキギがの紅葉がはじまりました。もっともっと色が変わっていく様子を、順次記録していきたいとの思いをもって、写真に収めました。昨年の秋以来、剪定がされておらず、精一杯に、枝が伸びています。だからこそ、感じられる美しさが、あるのかもしれません。
妻と一緒に習っている未生流の生け花、お寺におじゃまして、先生にきていただいて教えていただいています。あるとき花木の材料が揃わなかったときのことです。先生の「ここのお寺のニシキギを貰ったらどうですか」の一言で、何人かが枝を切ってもらったことがありました。剪定がすんでいなかったため、すばらしい枝ぶりのニシキギをいただくことができました。
10月、植木屋さんに入ってもらいます。何をどう剪定してもらうかは、よく見極めなければならない…と思います。
錦木やまさかのことが起りたる 格也
2009.9・24
クヌギの実(どんぐり)
境内の三本の櫟の木が、どんぐりを落としだしました。これは、表の鐘楼の横に落ちたどんぐりです。
一年生のたかし君、どんぐりが大好きです。12日の子ども会の日にも、まだ固い帽子をかぶった数個を見つけてきました。帰りには、本堂に忘れていきましたから、機が熟したどんぐりではなかったので気に入らなかったのでしょう。いまのものなら、「おしょうさん、どんぐり落ちた」と大喜びすることでしょう。
ドングリを保存するためには、すぐに軽く茹でてから乾燥させておく必要があります。ほとんどのものに虫が入っているので、そのままにしておくと、穴をあけて、小さな白い虫が這い出てくるからです。ここまで書いていたら、たかし君がきました。「どんぐり落ちたよ」というと、駈け出して行きました。
本堂にどんくり三つころげをり 格也
2009.9・23
ギンモクセイ
境内には、古木のギンモクセイが二株あります。写真は、山門脇にあるギンモクセイ。50年間、形を変えることなく、太い部分は、洞になっていて、皮だけで生きているようなのですが、毎年花を咲かせます。一昨日、山門を開けに行ったとき、ギンモクセイの匂いを感じました。この日が、咲きはじめでした。
今日は、境内中にギンモクセイの匂いが立ち込めているように感じます。玄関横のギンモクセイも満開になったのです。この木の方は、姿を大きく変えました。子どものころには、上って天辺から顔を出すと、四畳半ほどの広さがある四角い形に整えられたギンモクセイでした。枝を伝ってのぼり、顔を出す場所が三カ所くらい空いていました。恰好の遊び場でしたが、庫裏の拡張工事のため、やむなく株分けして、移転したのです。昔の面影はなくなりましたが元気です。
その中に子ら遊びをり銀木犀 格也
2009.9・22
インドボダイジュ
植えかえてから、新芽が出て、葉が生い茂ったときも見ていただきました。その後、背が伸び、幹も倍近くに太くなりました。妻は、インターネットを駆使して、インドボダイジュの挿木の仕方を探しました。このままでは、冬、玄関に入れることが出来なくなったからです。どうしても枝を切らなければなりません。同じ切るなら、切った枝を挿木にして増やそうというのです。
ところが、探しても探しても挿木の時期を教えてくれる情報は見つかりません。母は、木が伸びて動いている時期が挿木の時期といいます。調べているうちに、その時期を、逃してしまいました。
葉は、黄葉を始めました。切ったときが挿木の時期とあきらめて、準備だけしておきます。今年の挿木が失敗に終わっても、記録だけは残します。
一人居や鉢植えの木の黄落期 格也
2009.9・21
アジサイ
花が終わった直後のアジサイを切り戻すこと。これを今年の目標にしていました。昨年、切る時期が遅れたため花のつき方が今一になってしまった反省からです。表門の周りのアジサイは時期を違わずに、なんとか切ることができました。
ところが、無縁仏の整備のため散らかっていた本堂の横は、今年も手をつけることができませんでした。うっかり忘れてしまったのです。その切り忘れてのこった花が、このような美しい、枯れた残り花として、目を楽しませてくれています。本堂横の木蓮の木の下に、隠れたようにある小ぶりのアジサイの木です。
咲いたままの花が、花としての命をドライフラワーに変化させて残そうとする。これも不思議な営みです。アジサイが己を残そうとしているのか、アジサイを残そうとする「ちから」が残しているのか…。
ものはみな常なきものか枯れ残る 格也
2009.9・19
ヒガンバナ
今朝、最初のヒガンバナが開花しました。裏門を入った桜の木の下です。3年ほど前に、境内の二、三か所にかたまっていたものを、周囲に移植しました。花の時期は短いですが、並び塊り咲く姿は美しく、好きな花です。
田圃の畔に連なるように咲いていたり、川べりの堤に咲いていると思わず見とれてしまいます。そんな光景を境内にも…と思って移植したのです。まだ群れ咲くほどには至っていませんが、今年も時期を違うことなくこうして彼岸に咲き出してくれました。
田圃の畔に植えるのは、球根に毒がありモグラが嫌うので、モグラ除けに植えているのだときいたことがあります。私たちの方言では「おんごろ除け」といいます。ヒガン花の咲く里山の原風景は、いつまでも守り続けたいものです。
ここに咲きまたここに咲く彼岸花 格也
2009.9・18
サルスベリ
無縁仏の墓地整備のために、墓地内にあった樹木を伐採してくれた植木職人のNさんが、サルスベリの樹をもってきて植えて行ってくれました。記念樹として寄付してくださったのです。
サルスベリは、枝が、無縁仏の墓地につながる開山上人・歴代諸上人の墓地の上に張り出していくよう植えてくれてあります。Nさんは、自分が樹木を伐採してから、工事がもっと早く進むと思っておられ、6月頃から何度も何度も、無縁墓地整備の様子を見に来てくれました。墓地はまだ完成してはいないのですが、時期として今を逃すと今年中のサルスベリの移植が出来なくなるのか、このほど植えにきてくれたのです。
Nさんが植えてくれた樹は、以前「住職活動日記」の方で紹介させていただいたコチョウワビスケにつづいて二本目になります。
無縁仏文字消えてをり百日紅 格也
2009.9・17
シラハギ
「白露をこぼさぬ萩のうねりかな 芭蕉」
芭蕉のこの句の初案は「白露もこぼれぬ」であったといいます。これでは、「白露もこぼれないような…」と比喩的ともとれる表現になってしい、白露さえもこぼすことのない萩の枝のしなやかさの表現としては、不十分と考え、芭蕉は「白露をこぼさぬ」と改めた、と言われています。この結果、萩の枝においた露の様子まで、眼に見えるようになるとともに、しなやかな萩の枝のうねりまでが見えてくるようになったというのです。
ここにまとめた内容は、表現の仕方は私の表現になっていますが、実は、昭和三十八年、学燈社発行の「現代国語の基礎学習」の最初に出ていた、江戸文芸研究の第一人者、頴原退蔵氏の「萩のうねり」から学んだものです。萩の花を見ると、350円で買って、中学三年生以来、読んできた、そして今も座右に置いているこの本に、タイムスリップするのです。
書き込みの幼き文字や萩の花 格也
2009.9・16
カツラの黄葉
境内の西の、栃の樹の傍に桂の樹を植えたのも母親です。水辺を好む樹だからと、水道の蛇口に近い所を選び、大きくなり過ぎないようにと主幹を止めました。若葉の頃の美しさも格別ですが、黄葉もきれいです。
大きく伸びる樹が好きな私は、今からでも、伸びるだけ伸ばそうと考え、上にかかっていた栃の木の枝を払い、桂が伸びるスペースを確保しました。
桂の樹の横には、今は倉庫に使っている旧園舎が立っています。ここを改造して、子ども文庫をつくりたいと思っています。やがて桂の樹は、文庫を象徴する樹になることでしょう。伸びた桂の樹の枝の下を、何人の子どもたちが文庫に通ってくるか…ずっと桂の樹が見守ってくれることでしょう。楽しみです。
ここに来る子らを見守り黄落す 格也
2009.9・15
ヤマザクラの紅葉の始まり
大きくなったなぁーと誰しもが見上げます。後ろが藪であったときには、直径30㎝もなかったと思います。50年前のことです。その後、先々代の徹雄上人によって、「あおい園」という幼稚園が開かれ、「おばちゃん先生」と慕われた母が手伝い、300人近い子どもたちが在籍した年もありました。その都度、藪が切り開かれ園舎が増設されていったのです。
後ろに写っている現在の「一会館」は、その園舎を改築したものです。この間、山桜は、園の顔のようになって、どんどんと大きくなりました。
先代の俊皐上人は、「あおい園」を学校法人「和順幼稚園」として境内から独立させました。子どもちたの声は境内から、遠ざかりましたが、山桜は、山門と本堂とをつなぐように枝を伸ばし、歴史を刻み続けてきました。
そして、今、三年目を迎えた慶蔵院子ども会の登録人数は、180人を超え、境内にまた、子どもたちの声がもどってきました。
境内にもみずる桜子らの声 格也
2009.9・14
オトシブミ
子ども会の日の朝、桜の木の下でみつけました。この写真は切れてしまっていますが、写真上をクリックして拡大してご覧ください。この円筒状にまいた葉っぱをゆりかごにして、中に産卵し、最後に葉を切り落とします。
この葉っぱのゆりかごが、巻き手紙に似ていることから、落とし文の名前がつきました。辞書によれば「道路などにそっと落としておく無記名の文書。公然とは言えないことを書いたもの。落書。」とありました。
この、落とし文、子ども会の中で、子どもたちに見てもらったのですが、この日、ブックトークをして下さった林先生がもってきてくださっものは、海老フライそっくりの植物。それが、リスが食べたあとの松ぽっくりと聞かされてびっくりしました。
落とし文手と手と手と手つなぎましょ 格也
2009.9・13
落ち始めたギンナン
落ち出したギンナンですが、7日の分からは、食べられると判断し、集めることにしました。風があった8日、かなりの量が落ちました。その後、落ち続け、今日はご覧のような状態になりました。一日のうち、何回も掃かないと、車にひかれたりして、つぶれてしまいます。掃いている頭の上に落ちてくることもあります。
この状態は、まだまだ三分落ちというところでしょうか。たくさん落ちる日には、境内がギンナンで真黄色になります。公孫樹の木の下に車を止めようものなら、屋根に落ちたギンナンがつぶれ、ついた汁は、ほっておくと、コールタールのように、とれなくなります。
銀杏や瞼の奥の色となり 格也
2009.9・12
コウモリ
朝、表門にコウモリが落ちていました。まさか、門にぶつかったというわけではないと思うのですが、動くのですが飛び立つ気配はありません。とりあえず、写真におさめることにしました。そっとしておいたところ、昼過ぎにはいなくなっていましたから、元気を取り戻して飛んで行ったのでしょう。
コウモリは、夏の季語。かわほり、蚊喰鳥ともいいます。夏の夕方には、境内の上空を屋根から屋根、欅の周りから、栃の木へと飛び交わします。飛びながら昆虫などを捕食します。蚊を食べるので、蚊喰鳥の名前がついているのだそうです。トンボをとる要領で、石を投げ上げると、虫とまちがえて寄ってきます。
かわほりや「どうぞ」で始むわらべ唄 格也
2009.9・3
シロヤマブキ
境内には、一重、八重、白の三種類のヤマブキがあります。その内、白のヤマブキにだけ、このような黒い実がなります。花もいいですが、この黒い実をつけたヤマブキもいいものです。
先日、京都の高島屋での生け花展に、たまたま出会いました。その中に、目にとまったものの一つの作品。シロヤマブキの実のついた枝を、枝先に葉と実を残し、自然な枝ぶりのまま、長く、低く活け、足元にリンドウの花を、枝に添って、ほとんど同じ方向に向け、添えて活けてあったのです。
ヤマブキの枝と実をこのように使うことができるのか…、と勉強になりました。さっそく活けてみよう…。その前にと紹介しました。
白花の実の色は黒赤とんぼ 格也