境内の四季2010年1月 of 慶蔵院<境内の四季>

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2010年 1月

2010.1.29

 タロウカジャ

ワビスケ
 裏庭に咲きだしています。字は太朗冠者と書きます。母のメモでは、平成五年に玉城町のお寺から頂いたとあります。古くからの品種らしく関西では有楽と呼ばれ、京都の多くの寺院には古木があります。本草花蒔絵に「早咲きにて正月中旬より開くゆえ椿の呼び出しなりという、生け花にして至極よし」とあります。
 ラベンダーピンクともいえる紫色を含んだ特有の花色と樹形とは、日本在来の園芸種とは異質なものを感じさせるため渡来説をとる人もあります。
 今日、出棺回向に伺った棺の中に、亡くなられたおばあさんの俳句のメモが入れられており、椿の句もいくつかありました。手にとって、お経をおとなえしながら見せてもらいました。
 その中に椿の句あり往生す 格也

2010.1.26

フキノトウ

フキノトウ
 境内の西側に桂の樹が立っています。母が若葉がきれいだからと、地蔵堂の完成後の15年ほど前に植樹したものです。水辺を好む樹だとかで、水やりに便利な水道の蛇口に近い場所を選びました。
 さらに、母は、桂の樹の周りに山で採ってきたや蕗の根を移植しました。それが年々増えて、周りは蕗でいっぱいです。この時期にはフキノトウが境内のどこよりも早く出てきます。今朝は、6個のフキノトウが出ていました。野生の蕗なので小さいものですが、天ぷらにも蕗味噌にもと、旬の味を楽しんでいます。
 根元より捩じり千切りし蕗の薹 格也

2010.1.18

キンギョバツバキの蕾

キンギョバツバキ
 この椿、なぜ錦魚葉椿と言うのかといいますと、写真をクリックして拡大してみていただきますと、葉の先端が金魚の尾のようになっているのです。どうぞ、上の写真ではその部分が隠れていますので、ぜひ拡大してご覧ください。とても珍しい葉の形をしています。玉城町にあるお寺の先代住職さんから母親が頂いた椿です。
 江戸の文化文政時代から葉かわり品種の最たるものとして珍重され、草木奇品家雅見に「その葉金魚のごとし、実に不思議の珍産」と記載されています。実生の中から生まれやすく、現在20品種くらいの別個体があるとのことです。花が開きましたらまた紹介させていただきます。
 椿咲く明日を待ちをりつつがなし 格也

2010.1.16

ミツマタの蕾

ミツマタの蕾
 三椏は、中国原産のジンチョウゲ科の落葉低木です。上質の和紙の原料になることでよく知られています。晩秋に葉が落ちつくしますと、枝には蕾がつきます。そして、この時期には、花とほとんど同じ大きさに成長した蕾が、こうして枝先に集まり、うつむいて、まるで花がさいているかのように美しく付いているのです。写真の下側の枝を見ていただくとよくわかりますが、枝か三つに分かれるところから、三椏の名前がつけられました。
 まだ寒風の頬を突き刺す境内の、昼はほとんど地蔵堂の影となり、朝夕に延びてくるわずかなる陽の光を、いただいて、感謝の中に春をまつ三椏の蕾です。
 寒風に顔を向けをり生かされて 格也

2010.1.14

ロウバイ

ロウバイ
 表に出ると、真っ青な空、鈴鹿山系から伊勢平野へと吹き下ろされる空っ風、鈴鹿おろしの北風が頬に突き刺さります。その風を利用して高度経済成長の頃まで、伊勢沢庵づくりが盛んでした。
 どの畑にも、この時期、大根を干す「はさ」がかけられ、冷たい風の中、樽に汲んだ水で、タワシ代わりの藁を握って、真っ白に洗われた大根が、葉をつけたまま、何本かに束ねられ「はさ」にかけられました。子供たちにとっては、凧上げのかっこうの場所となっていたのです。
 蠟梅は、この風の中で、花を咲かせています。高塀に添って境内には二本の蠟梅が植わっています。ひとつは、檀家さんが、挿し木で増やしたものを百日紅の木と一緒にくださったものです。
 蠟梅や隠れてバスを待つ親子 格也
 

2010.1.10

クヌギ

クヌギ
 境内には大きい櫟の樹が三本あります。正確には、「ありました」になりますか…。一本は、表の鐘楼の横に、二本は地蔵堂の裏、境内の西側にあります。一本が、昨年10月の18号台風で真中から折れてしまいました。写真の黒く見えている部分がそれです。
 なんとか幹を守るために折れたところを切断しなおし、保護をしました。下枝がありますから、なんとか生き抜いてくれると思いますが、二本がそびえ、境内で最も高い樹であった櫟の一本が、低くなってしまったのはさみしいことです。
 折れなかった後ろの櫟が冬空に枝を張り出しています。北風の強い日でも、風が、葉のすっかり落ちてしまった枝を回るように吹き抜けていき、揺れることは、ほとんどありません。風に楔を打ち込んでいるようにも見えます。
 北風や楔となりて櫟立つ 格也

2010.1.8

斑入りオリヅルラン

斑入りオリヅルラン
 オリヅルランは、斑入りに決まっているのかもしれません。あえて斑入りとしたのは、昨日、真夏に山門の高塀下に移植したオリヅルランが、先祖返りをすることによって生き延びたことを書いたからです。そのオリヅルランがもともとあった場所が、玄関先のこの場所なのです。
 10年ほど前、母親が、鉢植えのオリヅルランをこの場所に地植えしました。今では、どんどんひろがって、ちょうど折鶴のように親株からぶらさがっている小さなオリヅルランは、掃除のたびに用具に引っかかって切れてしまいます。
 これを集めて、境内のあちらこちらに移植してきました。車庫の横、山門横の銀木犀の周り、裏門の横、そして先祖返りをした高塀の下などです。高塀の下以外は、すべて斑入りのまま育っています。
 植え込みに日射し届きし初薬師 格也
 

2010.1.7

オリヅルラン

オリヅルラン
 平成20年の真夏、玄関先に植わっているオリヅルランが増えすぎたので、切り取りました。捨ててしまうには忍びなくて、山門の高塀の下に植えました。普通にみられる斑入りオリヅルランです。
 適当な場所がここしかなかったのです。最初は水もやりましたが、すぐに全部枯れてしまいました。やはり真夏では無理だったか…とあきらめました。
 ところが、年が明けて、小さな草の芽が一面に出だしたのです。「雑草だ」と抜いてしまおうと思ったのですが、妻が「まって」と言います。オリヅルランを植えたところ一面に生えているのです、しばらく様子を見ることにしました。
 芽が大きくなるにつれて、先祖返りをしたのだということが分かりました。斑入りは、消えてしまいました。真夏の日差しに、根だけを残し、葉を枯らし、耐え続けて新たな「いのち」を繋いでくれたのです。たいしたものです。
 去年今年先祖のちから賜りし 格也

2010.1.6

境内の裸木

境内の木々
 早朝、玄関に出ると、境内の欅、櫟、山桜、公孫樹の裸木が静かに、厳かに立っている姿に感動しました。「静かなのに静かの音がする」という思いです。音を聞いているというより、音を見ているのです。見ていて音を感じるのです。静かなのに、確かに音となっているのです。
 天地の大生命との交流といえば、かっこうよすぎますが、葉の何もなくなった樹のもっている大きな「いのち」の「ちから」が迫ってくる思いです。それが音として聞こえるのかもしれません。そして、確実に私もまたその「いのち」の中に包み込まれているという感動の鼓動の音です。
 いま、裸木の中で、外からは見ることはできないけれど、確実に進行している、新しい「いのち」の育みの音、見えないけれどもこの音もまた聞いてみたい、感じてみたいと思います。
 裸木の静かに立てる音しけり 格也
 

2010.1.5

ダイミョウチク

ダイミョウチク
 庫裏の玄関横にあります。夏には葉が茂り影をつくってくれます。冬は、10月の剪定で葉を落としてもらい日当たりを良くします。この竹、いろいろな役割を果たしてくれます。
 ヒヨドリガ巣をかけるのです。カラスからの防衛を考えてか、こんなところにです。障子をあけると子育ての様子が家の中から見えます。このヒヨドリについて、私はもう一つの見方をしてもいます。
 それは、10数年も前、山門に落ちていた一羽のヒヨドリの雛を、家族で育てました。よく慣れて、しばらくは放鳥しても家の中に戻ってくることを繰り返していましたが、やがて飛び立ちました。ある日、母親とお客さんが境内で話をしていたら、鳴き声とともに、公孫樹の樹から母親の肩に降りてきたのです。
 それから2~3年して、ダイミョウチクに最初の巣がかかりました。つがいになって戻ってきたのだと感じました。今は、その子、孫の代になってきているのかもしれません。
 ゆらゆらと冬の日差しのひと日かな 格也

2010.1.4

スイセン

スイセン
 20年近く前、知り合いの花屋さんから、米袋いっぱいの球根を、母親がもらいました。それを境内の周辺に、植えたのだといいます。当初は、小さな丈だったようですが、だんだんと丈が大きくなり、写真のような水仙になりました。
 昨年、無縁仏の墓整備のため、掘り起こされた球根は、境内のあちらこちらに植え替えられ、わずかですが花をつけだしています。
 さらにもうひとつ特別な水仙が一株あります。境内にある石の阿弥陀仏坐像の下に植わっている水仙です。この水仙、堤防で倒れて亡くなった方のそばに、たくさん、かたまりになっていた球根の一つです。すべての水仙は、親族が堤防のその場所に埋めなおし、いまも花をいっぱいつけています。慶蔵院の水仙も、もうすぐ咲きだしてくれます。親孝行で家族思いだった彼の思いが、水仙の花に変わったにちがいありません。
 咲く蔭に咲かす人あり水仙花 格也