2010年 4月
2010.4.30
クロロウバイ
私たちが相可にあるお寺で未生流の生花を教えていただいている先生は、このクロロウバイが大好きだということで、昨年、挿し木用に切り取ったり、根をつけて掘りあげてお渡ししたりしたのですが、うまく根付かなかったということです。今年こそ、よい時期にもらっていただこうと思います。
境内のものは、土があっているのか勢いがよく、どんどん大きく成長して枝をのばしてくれています。檀家さんからいただいた蝋梅を4~5年前に横に植えたのですが、どちらも大きくなってしまい、一部、枝が絡まってきてしまいました。株分けや枝分けを考えなければならない時期に来ているように思います。楽しみなことです。
ありがたさ身に沁み入りぬ若葉かな 格也
2010.4.29
タツナミソウ
シソ科の多年草、青色のものと白色のものが境内にあります。他に、ピンク系のいろのものも、他所の場所でで見かけたように思います。花がみな同じ方向を向いて咲き、打ち寄せてくる波がしらに似ているので、立浪草の名がついたようです。
境内の分布では、白い色の方がどんどん増えてきているように思います。青い色のものは、二か所ほどに咲くだけになってきています。ことしは、意図的に青い立浪草をあちらこちらに移植してみることにします。
それにしても石と石との間に、びっしりと花を咲かせている立浪草、美しいものです。しかし不思議に思うのは、立浪草の横には、立浪草によく似た葉を持つ草が必ず生えてくるのです。そして、ほっておくと立浪草が負けていってしまうのです。
溢れ出て岩間割りたる立浪草 格也
2010.4.26
カラー
海芋(かいう)は、夏の季語です。アフリカ喜望峰の原産。サトイモ科の多年草です。切り花用に栽培されるようになりました。両性花で、芳香があります。カラーの名前は、英名によります。
この花、私が住職になった5年前の秋ごろでしたでしょうか、当時近所に住んでいて、今はグループホームに入っておられる、父親と同級生であった千代子さんが、自分の家の庭にあったほとんどの株を、寺に植えてほしいといわれて、一輪車で私が運び、千代子さんも手伝ってくれて、二人で境内の西側のあちらこちらに移植したものです。立派な株になり、たくさんの花をさかせてくれています。
境内に海芋咲かせてゆきにけり 格也
2010.4.24
ウノハナ
卯の花、季語では空木の花(うつぎのはな)、花卯木(はなうつぎ)ともいいます。ユキノシタ科の落葉低木です。空木の名は、この木から木釘をつくるので打木、または、幹が中空なので空木といわれるようになったのだそうです。また、卯の花の名は、陰暦卯月に咲くところからつけられたといいます。
大好きで境内の西側に二株植えたのですが、奥の株は冬の水枯れで枯らしてしまいました。私は、丁寧に水をやりながら草木を育て上げていくというタイプの人間でありません。ほったらかしにしておいても、元気に育っていく草木を見るのが好きです。かわいそうなことをしたと少々心が痛みますが、植える場所を間違えたとの教訓を残します。
母と子の交換日記花卯木 格也
2010.4.22
ジュウニヒトエ
十二単(じゅうにひとえ)という名前、シソ科の多年草、花穂の様子を十二単衣の装束に見立ててこの名がつけられています。本州・四国の丘陵地や林野に自生しています。
以前、裏庭にびっしりと生えていたのですが、何かを境として完全になくなってしまいました。それが何であったのかは覚えていません。楠木が生い茂って日当たりが悪くなったせいかもしれませんが、それは後から考えて書いていることであって、当時のことについての記憶はありません。
その絶えたはずの十二単が、桂の木の下に生えだしたのです。ここに移植した覚えはありません。去年は咲いていませんでしたから、どこかから運ばれてきた種が芽を出して、花をつけてくれたのです。
知らぬ間に十二単の花咲きぬ 格也
2010.4.21
ハナミズキ
昨年は花のつき方がいまいちだった花水木の花が満開です。これは茨城県に娘さんの元へと転出していかれた南出さんがのこしていってくれたもの。移植後に、清酒五合瓶をもってみえて、根元にかけておられたのを思い出します。
まだ葉が出ないのに、枝いっぱいに花をつけています。これまであまり気にせず、いわゆる「北米原産の落葉高木、明治中期に桜を贈った返礼としてアメリカから贈られたものであり、日本に野生するヤマボ゛ウシに近い種類でアメリカヤマボウシが正しい名」の花水木と思っていました。…が、今回の花の色、花のつき方を見て「濃紅色の園芸種もある」という言葉にひっかかっています。もう少し様子を見てみることにします。
気にかけてくれる電話や花水木 格也
2010.4.14
イチョウの新芽
今年も公孫樹の木の芽ぶきがはじまりました。それだけで境内の雰囲気ががらりと変わります。毎日、目に見える変化が続いていきます。空と地上との境目がはっきりとしてきます。どこからを空というのかと問われれば、公孫樹の枝先からが空といいたくなります。枝の輝きは失われ、そのかわり芽吹いた葉の輝きが日に日に増していくのです。そして、境内の土の上にその影を、日に日に濃くしていくことになります。
今年もまた、公孫樹の季節が始まりました。大正10年に植樹された公孫樹であることが、昨年わかりました。古い過去帳の扉に記載してあったのです。100年の寿命を生きてきた公孫樹です。
百年を生きてきてまた芽吹きをり 格也
2010.4.14
ヤマザクラ 2 満開
妻が予測した通り、14日、一気に満開に到達しました…と書いてはいるものの、書かされたという気持ちがどこかに残っています。
私は内心、まだ色が薄い、まだ空が透けている、まだ新芽の出が弱い、満開はまだだ…と思いつつ、15日、16日と待ちました。しかし今日はあいにくの雨、見ていると一輪、一輪と花びらが雨に打たれて落ちだしています。ここまでか…。
あきらめた私は、「書くよ」とここに座った次第です。枝が伸びたことにより、隙間が出来ました。左側の公孫樹も大きくなったため、山桜の枝は、本堂の方へと逃げ気味です。今年の山桜、満開といえども私の山桜としては8分咲きで終わった感があります。
しかし、昨日、檀家の西里さんが1年越しで仕上げた、満開の山桜の枝をあしらった、慶蔵院本堂の油絵を完成させ、寄贈してくれました。
こだわりもとらわれもなく山桜 格也
2010.4.11
ヤマザクラ 1
境内の山桜、8日に本堂の大屋根に近い一枝の二、三輪が咲き始め、そして、今日、ちらほら咲いているという感じにまで広がって来ました。満開にまではあと何日かかるでしょうか。そんなに日数はかからず、一気に広がっていくのではないかと思いますが、妻は14日を満開日と予測。私は、葉の出具合から、もう少しかかりそうだと考えています。17日を満開日と予想しておきたいと思います。
本堂の屋根に近い枝から咲き出しているのは、瓦の照り返しで、他の枝より温かくなるのではないのか…などと想像してみました。他の枝はまだまだです。
しかし、一方で妻が今日、毛虫の幼虫の塊りを一枝に発見し、払い落しました。毛虫の発生は例年になく早まっています。これはどういうことなんでしょうか。
大屋根に近い枝より花咲けり 格也
2010.4.7
シャガ
境内の半分以上が藪山であった慶蔵院には、昔からあちらこちらにシャガの花が咲いていました。今、自然のままに残っているのは裏庭の東側奥の楠木のまわりだけになってしまっています。このままでは、絶滅してしまうと、掃除のときに抜けてしまったものを、あちらこちらに株分けして、増やしていくようにしてきました。この一株もそのひとつ。本堂の西側に移植しておいたものが、いち早く花をけつてくれました。
アヤメ科の常緑多年草。花の形が胡蝶の舞う姿に似ているので胡蝶花ともいわれるそうです。シャガの名は、ヒオウギの漢名、射干を音読みしたものといわれています。
胡蝶花へ朝の日差しのとどきけり 格也